映画ではデジタル制作されたレーニンが空飛ぶ。実際はバカデカいこんな像が実在してました。
映画「グッバイ レーニン!」

『GOOD BYE LENIN!』、ベルリンの壁崩壊前後を舞台にした映画が今年2月13日に公開されて、ドイツではハリ−ポッタ−並みの動員数を誇り話題になっています。東独の日常生活の風景やデザインに興味のある人は、壁紙・国産車トラバント・パペット・パッケージデザインなど目移りしてしまうセットや小物ばかり。もちろん見逃すことなく私も映画を鑑賞、また全セリフが掲載された本が発売されたことで、より深く作品を理解することが可能になりました。本当にありがたい出来事です。

映画内容は、意識不明中に1989年11月が過ぎ壁崩壊の事実を知らぬまま翌年目を覚ましたママと、彼女に真実を告げず、まだ東ドイツは存在していると伝えるべくあれこれ手段を使って奮闘する息子アレックスのお話。パパが西へ逃げ、2人の子供達(姉アリアネ、弟アレックス)と共に残されたママが選んだ生き方。その人生が89年の出来事で時代から取り残されてしまう不条理さ。そしてママが子供達に隠していた事とは?この国(東ドイツ)で生きていかなくてはという決心の裏に隠された戸惑いやうろたえの感情。それが明かされるシーンが一番印象に残りました。コメディのジャンルに入るだろうけれど、仕上がりはかなりビタースウィートです。

またここ数年私の心をつかんで離さないKarl-Marx-Alleeが舞台になっており、毎年ママの誕生日を祝う場所として「カフェモスクワ」もセリフに登場したり、国営スーパーが突然消える様など設定としてはかなりツボな要素が多く、報道としての壁崩壊しか知らず想像するだけで終っていた日常生活の混沌を実際に描いてくれたような映画でもありました。

オープニングは『LANGWEILIGE POSTKARTEN』からインスピレーションを受けて制作されたという映像で始まります。そして日本でも大ヒットした『アメリ』のヤン・ティルセンが手掛けた切ないピアノ演奏でエンディングを迎える頃、仲良しのエリカおばあさんの娘さん(62歳)は「水を打ったように静かだったのよ。若いコじゃなくて私たちみたいに東ドイツを経験してる世代ね。映画終了と同時にいろんな事がフラッシュバックしてるみたいだった」と語ってくれました。2003.3.31

写真上:キスキスのお二人!ピティプラッチも映画に登場ですよ〜!写真下:ライプツィッヒのメッセで母親役の女優さんサインするの図。どこのブースよりもたくさんの人がつめかけてちょっとしたパニックになってました。



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casa DDR
東独でイタリアンと北欧デザインをかけ合わせるとこうなります
1:キャラ的要素も充分のスピーカー/2:スタンドランプ「コントラスト」(1961年)/3:ウィンカーもまとめてこんなオブジェにすると面白い/4:目玉のおやじなスピーカーは69年作

DDR(旧東独)のデザインに出会うと物珍しさに「よくぞ今まで残っていてくれた」というノスタルジックな気分も作用してついつい見とれてしまう。国産車トラバントは壁崩壊後「過ぎ去りし日の偉大なる化石」と言われるほど現代デザインとの間に、時代という名の距離があまりにもありすぎた。

クラウス・ディーテルとルッツ・ルドルフにとってDDRはデザインする環境としてはあまりにも規制が多く窮屈な国。提案しても幾度となくお上に門前払いをくらう日々。売れる事が前提の消費主義的デザインであったかというとそうではなく、計画経済の行き詰まりから粗末でとりあえず的なモノを生産する傾向の国に対して、「限られた資源や経済力ならば、なおさら息の長い良質のモノを生産するべきではないか」が彼らの哲学。

だから彼らのデザインは穏やかで、軽やかで、日常生活に根づいている。次世代のトラバントとなってもおかしくなかった軽自動車のモデルのなんと愛らしいこと!これが規制の多かった国で産まれたデザインだということにまず感動する。そして生産ルートに乗った「コントラスト」と名付けられたスタンドランプ(写真:2)。もの足りない気もするが、人々が使う余地を残しているように見える。使ってこそ完成されるデザインではないだろうか。

日々の暮らしに知恵と工夫、改善がなければなんと虚しい生活だろう。人を生活を豊かにし、はたまた国を豊かにするデザインという点で彼らは、イタリアや北欧のデザインに共感せずにはいられないようだ。日の目をみなかったデザインが多く残念な思いも残るが、同時にこれらをDDRで実現しようと奮闘した両氏に敬意を払わずにはいられない。2003.3.1

「Claus Dietel & Lutz Rudolph
- Gestaltung ist Kultur」〜2003.3.8
13-20.00(水〜日)Sammlung industrielle Gestaltung Knaackstr.97
5:ボンネットに埋め込まれた上向きのヘッドライトが斬新な習作(71、72年)/6:ゴブラン織り壁掛け(86年)/7:クーペ(65年)



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船乗り建築家 Ulrich Muether


Ulrich Muether氏は、北東ドイツは海辺の町リュ−ゲンのBinzで生まれ育った建築家。ヨットに乗ることを趣味とした人だから、海から受けたインスピレーションが多かったのではないかと思う。右上写真の音楽パビリオンなどの流線はミルククラウンを、すぐ下の写真中央Ahornblatt/カエデの葉(上から眺めると本当にカエデの葉の形をしている)などの鋭角な建物は船首を思わせる。Ahornblattは2000年夏に残念ながら取り壊され、その奇怪な形から解体業者がどのように解体すべきかわからず、ベルリンからはるばる彼の住むBinzまで助言を得る為に訪れたというのだから面白い。




そして東ドイツといえば、大量生産されたプレハブの高層パネル住宅の風景。それとは対照に彼の建築が1963年卒業制作の多目的ホールを皮切りに、次から次へ登場した事実がますます興味深い。それには東ドイツ政府の思惑がある。海外で評価を受けていた彼の建築を多くすることで、いい建築を生み出す国=東ドイツとしての評判を上げ、そして何よりもスターリニズムの建築スタイルから抜け出し、新しい東ドイツに相応しい建築的表現を見つけなければならなかった。だからこれらはモダン社会主義の建築ということになるのだけれども、その割にモンサントのプラスティックハウス、西ベルリンのHaus der Kuluren der Weltとの類似点は否めない。




彼が手掛けた東ベルリンのプラネタリウムに以前訪ねたことがあるが、ミクロの世界をマクロにしたような建築だった。だから最初はドキっとする。得体の知れない有機物の中に入っていくような感じなのだ。ミクロの世界に入り込んで宇宙を知る(=プラネタリウムを見る)という行為、これはもう「2001年宇宙の旅」の世界だった。そんな彼のこの建築も、統一後のベルリンに(東西)2つもプラネタリウムは必要ないという意見から、閉鎖されるかもしれない現状に置かれている。2003.2.21

Kuehne Solitaere - die Betonschalen des Ulrich Muether 2003.1.20〜2003.2.7