漫談パペット 「スベイブル+フルビィネク」

「Spejbl + Hurvinek/スペイブル+フルヴィネク」はチェコ生まれ、父スペイブルと息子フルヴィネクのジェネレーションギャップから生じるズレをかけ合うパペット作品。旧共産圏同士の間柄、東ドイツはチェコのみならず数多くの東欧アニメを紹介していたようで、この「スペイブル+フルヴィネク」、東ドイツの間ではちょっとした知り合いみたいな、馴染みのあるキャラクターです。

事前に買ったチケットには「スペイブル+フルヴィネク for adult」と記載さてれいました。子供用と大人用が準備されていて、大人用は子供用の倍の上演約1時間。映画やお芝居で子供が耐えられる長さではないから分けてあるのだとばかり思っていたのです。

しかし、フタを開けてみると演目も大人向け。ケーシー高峰氏までは行かないけど、子供である領域を活かして「愛するってどういうこと?」「子供ってどこから来るの?」などなど父スペイブルに畳み掛けるように脳天気に質問する息子フルヴィネク。また父親も真面目なものだから、答えるのに四苦八苦。その後も「愛すること」が気になってしょうがないフルヴィネクは親友マニカにも相談。彼女がまた少女なりに「愛すること」にやたらと詳しい。精神的な成長ってやっぱり女の子の方が早いのかな。

Josef Skupa/ヨセフスクパ氏によって生まれたこれらパペットは、1930年に独立のシアターを構え各国への公演もこなし始めました。しかし、以前からアマチュアのパペットショーとしてキャバレーで絶大な人気を誇っていたというから、今回のような演目はお手のものだったのかもしれません。会場は終止爆笑の渦で、終了後も拍手が一向に止まず、おまけとして有名なお決まりのネタなのでしょうね、会場から「赤ずきんちゃん!」とお声がかかり、演じてくれました。

そして何より「スペイブル+フルヴィネク」に命を吹き込む裏方陣の技巧みなことといったらありません。貧乏ゆすりと猫背ぐあいがよく出ていたスペイブル。子供によく見られる落ち着きのない無駄な動きや意味のないポーズを実によく表していたフルヴィネク。そしてそしてもっとびっくりなのはこの父と息子、同一人物によって声をあてがわれていたのです。あんなに混み入った息つく暇もない台詞をさらりと、またその場の雰囲気でアドリブも入れつつ演じるなんて!

ユーモアとナンセンス、私のお気に入りの要素を含んでいた「スペイブル+フルヴィネク」。ユーモアといえば英国の「くまのプーさん」をはじめてしっかり読んだ時に「こんな本を小さい頃から読んでたんじゃかないっこない!」と思ったことがあります。幼い頃からユーモアやナンセンスが培われる土台があるということ。この「スペイブル+フルヴィネク」だって負けてはいません。子供向けもきっとすばらしいことでしょう。2003.10.23



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リヒタ−おばあさんの話にはカフェやレストランの名前がたくさん登場します。毎週(日)には「カフェワルシャワ」へアイスクリームを食べに行くのがお決まりだったそうで、今も以前「カフェブタペスト」だった所へ足を運ぶ彼女です。
日曜日はいつも「カフェ ワルシャワ」で








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1953年6月17日
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週末蚤の市でにぎわうベルリン6月17日通りは観光スポットとしても有名です。実はこの通り、デモを行った東ドイツ市民を讃えて西ドイツ側が付けた通り名。戦後ドイツが資本主義と社会主義に別れ、それぞれの政策でもって立ち直ろうとしていた1953年に東ドイツ各地で起きた市民一揆に由来します。

ベルリンではKarl-Marx-Allee/カールマルクスアレイなどから発生。東ドイツ政府は軍備にばかり投資し庶民の日常食料品は高騰。そればかりか当時Stalinallee/スターリンアレイと名乗っていた同通りを、名に恥じない東ドイツ最初の社会主義的大通りに仕上げたかった為、給料すえ置きのままノルマ10%増を要求。これにキレた労働者たちが撤回を求めて決起文を渡すべく行進、対して政府は戦車を導入して軍の力で制圧。2003年の今年は事件から50年、東ドイツ各地でさまざまな催しが行われています。

ちなみに旧東ドイツ側はもちろんこの事件を讃えることはなく、6月17日通りは以前のままの通り名で地図に記載されています。それも1961年壁が出現してからは、西ベルリンのほとんどの道が記載されなくなり、ポッカリと空いた穴のような地図が登場します。


Karl-Marx-Allee/カールマルクスアレイに興味を持ちはじめたきっかけは、蚤の市で出会った1967年の観光パンフレット。「モスクワ」「ブタペスト」「ワルシャワ」「ブカレスト」といった一連の社会主義国名のカフェやバー、レストランが立ち並ぶここは戦後登場した東ドイツ最初の社会主義的大通り。延々と続くスターリン好みのネオクラシック建築の景観はモスクワのゴーリキー通りやワルシャワの文科科学宮殿を連想させます。

映画館に飲食店、子供デパートに美容室や各航空会社の窓口。東ベルリンの銀座だったと言えば少しはわかりやすいかもしれません。パンフレットの詳細マップを見る度に、通りを行き交う当時の人々の様子に惹き付けられます。そしてそれら建物の上は住居になっていて、エレベーター、セントラルヒーティング、風呂付きと1953年完成当時はあこがれの住宅でもありました。


イタリア人の写真家Lidia Tirri/リディア ティリに出会ったのは今年の2月、この大通りに今も住み続けるおじいさまおばあさま11人へのインタビューを写真と共に紹介していた展覧会場。スウェーデン人のYlva Queisser/イルィヴァ クワイサァと組んで行ったこのプロジェクト、取り上げたテーマはもちろんのこと、ドイツ人ではない2人が実現させたことに同じ外国人として非常に興味を持ちました。

「ベルリンに暮らして約3年、住んでいる場所がKarl-Marx-Allee/カールマルクスアレイの近くということもあって、自然とああ面白い通りだなと興味を持ったの。そしたらもっと知りたくなって調べているうちに昔の新聞から初回入居者リストを発見。もしや今もまだ住んでいる人がいるのではないかと思って電話帳で調べてみたら予想以上に完成当時の入居者が今も住んでいて、実際に話を聞いてみたくなったのがこのプロジェクトのきっかけ。」とインタビューを担当したイルィヴァは語ります。

リディアと共に約1年かかって仕上げた2003年2月の展示には3000を越す人々が訪れました。当時のイデオロギーから生まれた建築であることには変わりないけれども、今や旧政府の思惑とはまったく別の「あこがれの住宅であることに変わりない」という人々の思いや大切な暮らしぶりがこの大通りに彩りを添えています。


先月再び行われた展示は2月のモノと新たに1953年6月17日東ドイツ市民の政府に対するデモ事件にも触れ、Karl-Marx-Allee/カールマルクスアレイに存在していた子供デパートの壁画や貴重な建築装飾とともに構成。時代が変わったとはいえ軽くはない話題について、外国人である彼女達が聞き出す事に恐れはなかったのかリディアに問うと「恐れる必要なんてまったくないわ。だって私達はなにも知らない子供のようなもの。次世代に向けて当時何が起きて、人々がどう思ったのか伝える必要性もあると感じたの。」

東ドイツという国がどうだったかではなく人々の生活がどうだったかに焦点を合わせ、そこに住む人々をメインに彼女たちはあくまでも裏方に徹し、解釈は観賞した各々に委ねていた展覧会。この姿勢はフリージャーナリストのイルィヴァとドキュメンタリーを主に手掛ける写真家リディアだからこそなせる技。2人ともドイツ人でなかったことで東西ドイツ人の間に未だ残る偏見や固定観念というものがなく、素直にいろいろな事を質問できたとも。6月17日の事件を扱いながらもインタビューでまとめられた文章からは、それぞれに家庭があり日常生活があったことが感じられます。


そんな彼女たちのこのプロジェクトは今後ドイツを抜け出して2人の故郷イタリア、スウェーデンそして東欧にもコンタクトを取り巡回していきたいそう。プラハの春にも匹敵するこの事件がKarl-Marx-Allee/カールマルクスアレイという大通りと共に多くの人の目に触れる機会に恵まれることを祈ってやみません。2003.8.11 (Photos / Lidia Tirri)




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Margonwasser/マルゴンヴァサーもまたいくつもの時代を生き抜いてきたドイツ商品のひとつです
マルゴンの炭酸水

Margonwasser/マルゴンヴァサーは1903年生まれのスパークリング水。この水は今でも現役で、ドレスデンなどのカフェやレストランでメニューにその名を見つける事ができます。

まだ宣伝広告が盛んだった東ドイツの60年代、Margonwasser/マルゴンヴァサーの広告は、今まさに飲まんと軽く唇を突き出している女性の横顔シルエットと、手にしたグラスは傾き気泡があふれ出る様子を描き、ノド越しをシュワシュワと潤すばかりか「初恋の味カルピス」にも似た淡い想いがはじけているようでしばし見とれてしまいます。

壁崩壊からの変貌ぶりには度胆を抜かれるベルリンFriedrich str. /フリードリッヒシュトラーセ駅近くの建物のわきには、今でも当時の看板がいつ消えてもおかしくない程かすかに残っています。その目と鼻の先には対イラク戦の際に厳戒体勢をひき、「民主主義がベルリンに新たな壁を構築しようとしている」と揶揄されたアメリカ大使館があります。相対する主義がお隣さんという奇妙な取り合わせ、ベルリン散歩の醍醐味はこんなところにも潜んでいるのであります。2003.8.2


写真左:ベルリン中心街に今も残っているのは奇跡的といしか言い様がありません。夏は木の葉が看板を覆い隠してしまう為、知らない人がほとんどです。写真右:ドレスデンの看板はメンテナンスを受けながら昔のデザインそのまま。夜のチカチカ照明は気泡をより幻想的にしてくれます