Lost in der DDR
映画「kleinruppin forever」

1985年、西ドイツのブレーメンにティムという少年が住んでいました。ある日、学校の遠足で行った東ドイツのKleinruppin/クラインルッピンという町で、自分にそっくりなロニーという少年に偶然出会ってしまったことが運のつき。実はこの2人、生まれてすぐに東西離ればなれになった双児の兄弟だったのです。

「服を取り替えて君になりたい。一日いや数時間でもいい、頼むよ兄弟」ロニーはティムに懇願しました。「いやだね」もちろん断るティム。突然訪れた黄金の西へ行くチャンス。こんなことは滅多にない。言って駄目なら実力行使だ。ロニーはティムの背後から空のビール瓶でえいっと彼の頭を殴り気絶させてしまいました。

気を失ったティムがしばらくして目をさますと、ロニーは彼になりすまし大型バスに乗り込んで西へと逃げるではありませんか!なんてこった!どうにかして帰らなくちゃ。徒歩で。ボートで。警察の車で。なりふりかまわずあれこれ試みるものの、ここは現実よりも遥かに離れた遠い国の小さな町クラインルッピン。たった数時間車を走らせれば西ドイツへ戻れるのに、、。しかも殴られた後遺症だから仕方がないと、不運にも人々は自分をロニーと信じて疑いません。

事態を把握しても生活様式がまったく違うこの町で、ティムはロニーになりすますどころか勤務先の工場での嫌がらせや軍入隊面接を、自分の流儀で通してみせます。肝が座っているというよりも単なる世間知らずのおぼっちゃま。知らないからこそ出来る大胆な行為の数々。ポッパーなヘアスタイルが全然似合ってない風貌とアナーキーな行為の裏腹さがたまりません。

そんなのれんに腕押しの日々に咲いた小さな花、イヤナ。彼女もこのちょっと変わったアウトサイダーなティムに好意を抱き、徐々にひかれ合っていきます。けれど所詮叶わぬ恋。ティムは水泳の遠征試合で西ドイツへ帰れるチャンスをモノにしようと努力をし、イヤナは自分の気持ちを表に出さぬまま、彼の練習につき合います。本当は西へ帰ってほしくなんかないのに。ずっと一緒にいれたらいいと思っているのに。

グッバイレーニン!以降の東ドイツ題材の映画「Kleinruppin forever」。西ドイツの温室育ち・箱入り息子ティムが架空の町クラインルッピンを舞台に繰り広げる「王子と乞食」の童話さながらの物語には、外界と決して交わることのない隔離された別世界として東ドイツが登場します。

シュタージ・地区警察・メーデーの看板などが登場するけれども、今までの東ドイツ題材の映画とは違い、何もないが故のヒッピーのような浮き世離れした生活感がそこにはあり、のびのびとさえ表現されています。実際の東ドイツはこんなものではなくもっとひどかったはずだ、という意見もあるでしょう。けれども重要なのは、東に置き去りにされたティムが心の充実感や本当の幸せに気付いていくことにあり、東ドイツはあくまで別世界のモチーフとして描かれているのです。


「WESTPACKET」て何?

「なんだぁ、その変な髪型」。東に取り残されたティムのヘアスタイルは80年代を代表するポッパースタイル。双児の片割れ東のロニーはレッドツェッペリンなどのロック好きなヒッピースタイル。ロニー(本当はティム)の突然の変貌に、町の皆は「なんだよ、西の小包みてぇじゃねぇか」と冷やかします。

西の小包「WESTPACKET」とは、東西分断中に西の親戚などから東へと送られてくる荷物のことで、箱に詰まった中身は東では得難い食料衣料の品々。ハリボグミ、ミルカのチョコレイト、コーヒー豆にストッキングなどが喜ばれました。宛先には商売の取り引き目当てでない「贈り物」の記載を必ず必ずしなければならず、閉ざされた国にやってくる資本の香り漂う「WESTPACKET」は、宛先へ届く前に勝手に開けられたり盗まれること多発の魅惑の小包でありました。

クラインルッピンの人々はこの言葉でティムを皮肉ったけれども、イヤナにとっては本来の「WESTPACKET」以上に素敵な贈り物になりましたとさ。


双児のティムとロニーを演じるのは、東ベルリン出身のTobias Schenke/トビアス シェンケ。(よく引き合いに出して恐縮ですが)おすぎだったら「アタシ、2時間も耐えられないワッ」必須の非イケメンだけど、ニキビのあとが残る肌と全然似合っていない髪型が野暮ったさを倍増させて、「いるよなぁ、こういうおぼっちゃま」をうまく演じています。取り残されて半ばやけくそのティムと西に憧れていたロニーの2役を彼も楽しんだ様子。

また、ティムと一緒に暮らすじいちゃんにも注目です。愛すべき酒好きの老人を、グッバイレーニン!でクラプラト校長を演じたMicheal Gwisdek/ミヒャエル グウィスデクが好演しています。「(西に逃げた)ロニーによろしく伝えてくれな、、」水泳の遠征試合でバスに乗り込む間際に耳打ちするじいちゃん。自分が実はティムだなんて一言も言っていないのに、、。

海上警察に捕まりそうな所を助けてくれた船長さんも、元の世界へ戻ろうともがくティムに「どこに住もうと関係ないじゃないか、君が本当に幸せを感じているのなら」と説きます。ティムが若さで無知を表現するように、彼らは老いで人生を表現しています。

オスタルギーに代表される(実体験がないのに)懐古する気持ちや、政治的にしか東側をとらえなかった姿勢云々など、話が進むにつれてそんなことはもうどうでもよくなってきます。それは極端に言うと東西ドイツでなくても全然よくて、クラインルッピンは日本にもあるかもしれない町なのです。少年が異文化の中で恋愛を通して体験する「大切なこと」。それだけでもう充分エンターテイメントになっている、「Kleinruppin forever」はそんな映画です。2004.9.15



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