数々のヒットに恵まれながら、東ドイツではアルバムリリースまでに至らなかったニナ。壁崩壊がなかったら未だお蔵入りだったかもという曲も含む全13曲。

ドイツの湯婆はパンクの女王

「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭で金熊賞をとったことは記憶に新しい。湯婆の声を夏木マリが担当したことだってしっかり覚えている。ドイツ語吹き替えの湯婆はニナハーゲン。「泣く子も黙るキャスティング」と言わずして何と表現したものか。

彼女の歌声にはじめて触れたのは映画「SONNENALLEE」のエンディング。1974年の東ドイツ、デビュー曲にして大ヒットの「Du Hast den Farbfilm vergessen」。人生いろいろあった歌手が場末のキャバレーかなんかで披露している感じがしたから、ニナでしかも当時17歳と知った時は、思いっきりのけ反った。

ニナの歌唱力の豊かさというのは、我が身を観客にさらす潔さだと思う。「ニナハーゲン」という言葉の持つパワー、スタンス、表情、圧倒的な存在感、即興性に富んだパフォーマンスとうた声は、観客を置き去りにしてしまうくらい見せ物小屋的要素満載で、1978年西ドイツでのデビュー時、既にもう湯婆的要素が見え隠れ

そんなドイツの湯婆にもびっくりするくらいキュートな頃があったのね、ということで92年発売のアルバムは、私たちを置き去りにはしない。1974年から76年まで、東ドイツでのたった約2年間のキャリアを詰め込んだこのレコードはレパートリーに富んだレビューを観る思い。ニナからすれば聖域ではないかもしれないけれど、舞台(=ニナ)と観客(=リスナー)の距離感が逆にとても新鮮。

「Ich bin so alt」は若いニナが枯れた声で老け声ぶりを発揮、あっけらかんと歌うあべこべさに笑いが止まらないし、自ら作詞をした「mama」では「えーっこれがパパなのー?!」と、実父ではない男性に向ける少女の目線、ニナのふてくされた顔が目に浮かぶよう。バイオリンとの掛け合いがまさにタンゴを踊っているような「Wir tanzen Tango」は、ボールルームなんていう言葉が浮んでくる情熱的な歌いっぷり。

必聴なのが「Rangehn」。1978年西ドイツでリリースした「Nina Hagen Band」のものとは異り、歌詞ほぼすえ置きのまま、妙に世良正則&ツイスト風なのが耳に懐かしい。限りなく後のニナに近くなっていく歌声の「Das kommt, weil ich so schoen bin」などは、パンクのニナ夜明け前といったところ。

1976年彼女の養父であったミュージシャン、Wolf Biermann/ヴォルフ ビアマンがツアー先の西ドイツで、東ドイツ国家から「もう帰って来てくれるな」と追い出された前代未聞の市民権はく奪事件をきっかけに、ニナも追うように東ドイツ国民であることを放棄して西へ。彼女のミュージシャンとしてのキャリアは西ドイツで再出発し、その後は周知の通りの活躍ぶり。

デビュー時の初々しさと瑞々しさ、シンガーソングライターとしての才能も開花しそうな彼女が見える一方で、音楽を通して自分を表現していくには「東ドイツという国は窮屈!もう限界っ」という感情もこのアルバムには漂っている。2004.3.2

収集している古雑誌「Das Magazin」から偶然見つけた彼女。ティーンエイジの時は、ずきんを被るのがお気に入りのファッションだったとか。育った環境も独特だったから、価値観とかおしゃれもとてもオリジナルなのだ。めっちゃキュートでしょ?


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