クリスマス&新年カードの宛名書きをせっせと進めている週末、ドイツはとうとうアドベント第1週に突入しました。
カードにステキな切手を添えたくて「この時期、記念切手の出張店舗がでてるはず」と最寄りの郵便局に向かいました。けれど採算がとれないのか、もう巡回してこないとのこと。通常切手じゃなくて、やっぱりキレイな記念切手を貼りたいんだけどなぁ。
私「どこか別の場所で買えるところ、知りませんか?」、局員「そういったお店、ベルリンには存在しません」……「え〜、んなわけないやろ〜」と思わず小笑いしつつ、つぶやいてしまいました。今ドイツでは、QRコードを使用した切手が一般的になりつつあります。局側にしてみれば、数種の切手を組み合わせる&いちいち貼るという手間が省ける便利なシステムなのですが、これがなんと味気ないことよ(嘆)。
キャラバンのように各イベントに出没もする記念切手の出張店舗。必ず買える場所があるはずと、帰宅してネットで調べてみれば、なんてことはない常設店舗が西ベルリンに存在していました。
小さな切手をこまこまと指差し、ケースから出してもらう作業はまるでジュエリーを買い求めているようで、気分がいいものです(全然値段違いますけどもね)。ドイツらしい風景のもの、仕事柄デザイン関係の人が気に入りそうなグラフィックものなどを厳選し、またそれぞれの宛先の人柄に合わせて切手を組み合わせる楽しさよ。これが私の年末恒例の作業であります。
毎週(火)はある図書室で本の整理などの作業をしています。周辺に昼食を買えるパン屋さんなどがないので、必ずお弁当を持って行くことにしています。
前日の残り物であることがほとんどなのだけど、きちんとお弁当を作っていくと、作業もはかどるような気がします。そして何よりお昼の時間がとても楽しみになります。給食を待ちこがれていた小学生の時の気持ち、揚げパンと豚汁っていうすごい組み合わせとモロゾフのいちごジャムを思い出しました。
定時にあがって、今日はそのまま印刷屋さんへ入稿していたクリスマス&新年のハガキを引き取りに向かいました。トラムへの乗り換えがうまく行かず、しかも20分毎という本数の少なさ! 待っていられないのでトボトボ歩き出し、オレンジ色の電灯の並木道に、なぜか学童帰りの冬の淡島通りを思い出しました。
ちなみに通っていた駒場小学校の校歌は早稲田の校歌みたいで覚えやすく、歌詞もすごくステキでした。「紫の春、星の秋、鋼の冬や雲の夏」とはじまるのですが、「紫の春」だけどうしてもわからなくって、今でも時々考えてしまいます。はがねの冬っていうのは、ベルリンが思いっきりあてはまります。
期間限定利用を終えて、ついにとうとう閉鎖されます。日本でも今さかんに取り上げられているアスペスト問題。これを理由に壁崩壊・東西統一後に閉鎖されたのですが、それが本当に本当の理由かは疑わしい。東独時代に議会や迎賓館としても使用されたことから、いいイメージを持たない人々が少なからずいて、しかも戦前実在した宮殿を復活させたい思惑なんかもからんで、アスペストは単なるパラスト(共和国宮殿)を閉鎖に持ち込む為のきっかけに過ぎなかったのではないか、と私は思っています。
随分前のニュースで、ある年配の女性が閉鎖されたままのパラストをバックに「政治的な意味合いの強い建物かもしれないけれど、ステキな思い出が生まれた場所でもあるのよ」と語っていた姿が忘れられません。パラストは娯楽施設も満載の、おのぼりさんが一度は必ず訪れる観光名所でもあったのです。この女性の発言は、その後の私の活動を随分後押ししてくれました。当時(2000年)、庶民文化とはいえ東独を取り上げることは、まだまだ社会・共産主義のみだけに結びつきやすく、私はそれに悩みビクついていたのです。
その後、フリーペーパー『お品書き(休刊中)』の『ギュンター&ジルビア』のお話の中で、恋人になる彼らがはじめて出会った場所として、このパラストを取り上げました。普通の暮らしの中に登場する風景という形を借りて、庶民の目線から見た東ドイツを表現してみたかったからです。
パラストは、私が最初に興味を持った東独の建築物であり、廃虚論だとかアトリエやギャラリーとして利用するといったこととはまったく別の「どういった方向から物事を見るか」をおしえてくれた建造物でもあります。
でした、11/17から5日間。ところが今月に入っていろいろ諸事情あり、急遽とりやめ。でもちょっと悔しいので同通り沿いにあるウィーン料理のお店に行ってきました。コテコテの店内インテリアですが、洒落たレストランよりこっちの方が好き。わたし庶民派なので。
もうとにかくここのヴィーナーシュニッツェルの大きさといったらありません。お皿なんて丸っきし見えないし、座布団みたいなのです。ちなみにシュニッツェルは彼注文の品。食べても食べても減らず、「残りをお持ち帰りなんてこと、日本みたいにできるのかな?」と私。でも、彼の中で「お持ち帰り」は恥ずかしいことらしく、私が質問することに。結果、食べきれない人たちが残りを「お持ち帰り」するのは、この店では常のよう。手みやげぶらさげて帰って行くお客さんをよく見かけました。なんか日本みたい。
たらふく食べて、最後にスピリットでクイっと〆るのが、オーストリア流らしい。全てに言えることかどうか不明だけど。これで消化がよくなるらしいです。だったら半分の量のシュニッツェルにスピリットなしの方が胃袋にも懐にもやさしいのにな、とは私の弁。
ちなみに翌日は持ち帰ったシュニッツェルを暖め、ご飯を炊き、なめこのみそ汁を付けて、ヴィーナーとんかつ定食にしました。ザウアークラウトサラダをキャベツの千切り代わりにして、どこの国の料理かさっぱりわからない感じでしたが、けっこうイケました。
こちらに移り住む時、東京から持ってきた荷物の中に、表参道の『Zakka』で買い求めた藤原千鶴さんのルームシューズがあります。毎年冬になるとお世話になっていたお気に入りのこのシューズも、随分くたびれてきてしまいました。代わりになるシューズが見つからずどうしようと思っていた今年の春先、街で偶然見かけた老舗の工房から、とてもステキなルームシューズの情報をもらいました。
今年の秋から下ろした『PUSCHN』のルームシューズは、フェルトの羊毛からシューズ制作の技術まで、全てドイツで行われている正真正銘のmade in Germany。故に値段はけっして安くないけれども、伝統的な職人技が生きたこのシューズは足だけでなく心まで暖かい気分にさせてくれます。ぜひぜひ一度サイトに訪れてみてください。洗練されたステキなデザインたちに、思わず目移りしてしまいますよ!
また、ほんの1ページですが、雑誌『ドイツデザイン』にて私山田が取材インタビューをしました『PUSCHN』の記事が掲載されています。こちらもお近くの書店に寄った際には、ぜひ一読くださいませ。デザイナーのメイケさんもとても暖かみのあるステキな方で、ますます『PUSCHN』から目が離せません!
クレムケ氏の末娘ウルリケさんの計らいで、東独を代表する児童雑誌『FROESI』の編集者であったヘルガ・ヴルフさんのお宅へお邪魔しました。
『FROESI』はとにかく付録が多かったことで知られる、当時の子供達に最も愛された児童雑誌です。ヴルフさんは創刊間もない1954年から廃刊になる1991年まで在籍していたそうで「覚えているけれども、具体的に思い出せないことがたくさんあるのよね、この歳になると、、」と言いながら、クレムケ氏について、当時の編集部について、そして貴重なバックナンバーの数々を丁寧に説明してくれました。
とくに「私の宝物よ」と言いながら披露してくれた付録の数々には、思わず我を忘れてしまう程。当時のアドベントカレンダーの未開封の窓を目の前に「開けてみて、開けてみて」のヴルフさんの言葉に、思わず日本語で「もったいない、もったいない!」を連呼の私。付録を考える部署や担当の人ってどんな感じなのでしょう? 当時の編集部の机の上を天井から覗いてみたい。そんなことできたら本当に素敵なんだけどな。
新サイト、オープンしました
メールによるお問い合わせは
下記【プロフィール】からどうぞ
山田庸子 Yoko YAMADA
東京生まれ。フリーランスのグラフィックデザイナーを経て、 1999年末から拠点をベルリンへ移す。現在は執筆業を中心に、 旧東ドイツの庶民文化を紹介する活動なども行っている。








